美しい君






月日は巡り




再びやって来る





恐怖の―――









――定期テスト。



毎度の事ながらかごめは重くなった頭を抱えてこの世界に帰って来た。

現代と戦国時代の両方を行き来しながら柔軟に生活をこなすかごめだが、
やはりこの圧力ばっかりには勝てる見込が無い。

(ただでさえ、出席日数が足りるか足りないかの瀬戸際なのに…
 もしテストでしくじったりなんかしたら……)


想像するのもおぞましい未来図が頭を過ぎる。


そして、彼女の悩みの種はこれだけでは無かった。



「あっ、姉ちゃんお帰り!今日は犬の兄ちゃんも一緒なんだね。」
「よぉ、草太」


かごめの気苦労を悟る筈も無く、久しぶりに再会した弟と挨拶を交わす少年――

犬夜叉…。



今回犬夜叉も一緒に現代に連れて来たのには幾つか理由が有った。

1つは、弥勒と珊瑚に気を遣っての事だった。

二人は将来を共にする約束はしたもののあれから色々バタバタとし、
なかなか二人きりにしてやるチャンスが見つからなかった。

余計なお世話とは思いつつ、折角なのだからと
ずっとその機会を伺っていたかごめは自分の帰郷を機に
七宝と雲母にも協力を頼み、今回の作戦実行へと踏み切ったのだ。


2つめは…犬夜叉を想っての事だった。

犬夜叉は戦国時代に居る間は横になって眠っている姿を滅多に見掛け無い。

そこで以前に里帰りした時の事を思い出し、決して敵が現れる事の無い現代で
またあの時の様に眠って疲れを取って貰おうと心密かに考えていたのだった。


(ここのところ、ずっと張り詰めた空気だったもの。犬夜叉だって疲れてない筈が無いわ…。)

そんな気遣いから行動に出たものの…
かごめは早くも挫そうになっていたのも事実だった。



かごめは自分の部屋に犬夜叉を誘導し、「ここに座ってて」とベッドを指す。
すると犬夜叉は座りながらかごめに言った。
「かごめ、とっとと終わらせて帰るぞ。」


かごめは早速一つ溜息を吐く。

「だーかーらっ!さっきから言ってるでしょ!?今日は帰れないって。
 明日は大事なテストなんだから…」


「また“テスト”かよ…」
ふて腐れた様に言う犬夜叉にかごめは反撃する。

「うるさいわね!!今回はいつものと違って模試なんだから!
 本当は3日かかる所を1日で帰れるだけ有難いと思いなさい。」



ぶちぶちと文句を言いながらも大人しく座っている犬夜叉を背に
かごめは本業に取り掛かり始めた。




ふと、背後からたまに聞こえて来る彼の呟きに耳を澄ませてみる。


文句は何時もの事で

今日も一晩中聞かされるのかと少しうんざりしてたけど…

思ってたより機嫌良いじゃない――。



口では不平を言いつつも、何処かで楽しんでいるような…
そんな雰囲気をかごめは感じ取る事が出来た。





そして未だに慣れない現代の食事を取り―
やがて夜も更けてきた。



戦国には無いふかふかの寝台の上で、座っているだけでも犬夜叉は眠気に襲われ始めた。

「なぁ、かごめ…」

自分に背を向けた儘のかごめに声を掛ける。

「なぁに?」


「…まだ…寝ないのか?」

あっちでは聞く事の出来ない、安心仕切って眠そうな犬夜叉の声にかごめは思わず笑みを浮かべる。

「良いよ、横になってても。」

「…お前は?」

「場所、犬夜叉に譲ってあげるわよ…。」





返答が無い。



かごめが振り返ると犬夜叉は既にかごめのベッドに横たわり、健やかな寝息を立てていた。

かごめは嬉しくなりベッドの前で座って、犬夜叉の寝顔を確認する。



――作戦、成功。



(やっぱり犬夜叉も疲れてたんだ。

…たまには良いよね。 こういうのも。)




かごめは犬夜叉の寝顔を同じ高さで見つめてみる。


規則的に行われる呼吸―。

その度にゆっくり上下する肩。

時たま、普段の眼差しからは想像もつかないくらいの可愛らしい睫毛が揺れる。



「寝てる時は可愛いんだけどな〜…」

かごめは小さく呟くと、愛おしそうに見つめながら彼の寝顔にかかる銀髪を避けた。



――こうして改めて見てみると犬夜叉って綺麗だ。


すぅっと通った鼻筋。

形の良い唇。

端正な顔立ち。

そして眩ゆい光を放つかの様な透き通る銀髪−。


半分、妖怪の血が流れている所為だけじゃない。
犬夜叉の美しさには何処か人間特有の繊細さや脆さ儚さも感じられる。








気が付けばかごめは犬夜叉の其の寝顔から目が離せずにいた。



迫り来る静寂。

求められるが儘に照らす白色灯の下。

美しい半妖の少年。




時が止まってしまったかの様な奇妙な感覚を覚える。





かごめの鼓動は何故か早鍾を打ち始めた。



―――まるでこの少年を

奪ってしまいたくなる様な


そんな衝動に駆られる。



かごめは先程髪を避けた少年の左頬にそっと手を添え
ゆっくりと顔を近付け始めた。


かごめの長い髪がさらりと其の肩から流れ落ち
若干、犬夜叉の顔にかかる。







互いの吐息が交じり合い
唇が触れるか触れないかの所で

かごめははっとした。



(あたし…何やってるんだろう…?)





途端に顔を離し、元の態勢に戻る。
そして自身の体中が熱を帯びているのがわかった。



何か

こんな事したいが為に

私がこっちに犬夜叉を呼んだみたいじゃない…




(――そんなつもりじゃなかったのに…)







かごめが強い自責の念に駆られて居ると
また思い掛けぬ事が起こってしまった。




眠っていた筈の犬夜叉が
頬に寄せていた手を
ぐいと勢い良く引っ張ってきたのだ。


再び二人の顔は
ぐんと距離を縮める。



「い…犬夜叉?  起きてるの?」



かごめが思わず尋ねると犬夜叉は答える代わりにこう呟く。


「途中でやめんなよ…」




その言葉を聞いた瞬間、かごめは体中の血が一気に沸き立った感じがした。

「ばっ、ばかっ!」




すると、犬夜叉はかごめの手を握ったまま、自ら舒に顔を近付けてきた。


ただでさえ速く打つ鼓動が、サーモスタットを失ったかの様に狂い打つ。


かごめは静かに瞳をつぶり

そのまま…
そのまま…


そっと

互いの唇が溶け合ったのが解った。














「お、覚えてないですってぇっ!?」


何とか無事にテストを終えたかごめは、共に井戸をくぐって仲間の元に戻ろうとしている犬夜叉に絶叫した。


「一体何考えてんのよ!?寝呆けてて記憶に無いなんて!!」

かごめの甲高い声が耳を突き抜けた犬夜叉は顔をしかめて言う。

「だから…、さっきから謝ってんだろ?」

「信じられない!盗っ人猛々しいとはよく言ったものだわ!!」



―『寝呆けてて覚えていない』――

半分は本当で、…半分は嘘だ。



あの時犬夜叉は半身、眠りの淵に居て
自分もしたいと思ってしまったばっかりにあんな大胆な行動に出てしまった。
ところが今思い起こすととんでもなく恥ずかしくて居ても立ってもいられなくなる。
とても自分の口からその事実を容認する言葉なんて言えそうにない。



かごめは唇を指で押さえながら泣きそうに呟く。

「もぉ…私の“初めて”、返してよ…」






犬夜叉はその言葉を耳にして血の気が引いた。



――ちょっと待て。


俺は其処までは 一欠片も記憶が無いぞ。



まさか…?―――





犬夜叉は怒りながら歩くかごめの前に出、向かい合って両手で彼女の肩を掴む。


大きく深呼吸をし、最悪の状態を考慮してかごめに尋ねる。


「なぁ…」

「…何よ?」

かごめは不機嫌そうに返事をする。





「最後までしちまったのか?」




予想外の質問にかごめは耳の先まで真っ赤にして力強く言い放つ。


「おすわりっっ!!」



ふぎゃ!という声と共に体が地面に叩き付けられる鈍い音が辺りに響く。



「犬夜叉の馬鹿っ! 助平!! 最っ低っっ!!!」

入れ違いにかごめの叫びが響き渡った。


動けない犬夜叉を尻目にかごめはスタスタと歩いて行ってしまう。

痛烈な一撃を喰らった犬夜叉は先を行くかごめに苦しみながら文句を吐いた。



「お前…“初めて”って言ったじゃねぇか!」

「“初めて”のキスだったの!」

「『きす』って…」

「あー、もぉ五月蝿いなぁ! 接吻【くちづけ】よ!! 接吻!!!」








(ったく、何なんだよ。 元はと言えば…)



そう思った瞬間、犬夜叉は自分の頬に触れていたかごめの指の
包み込むような温かさを思い出した。

いつもと違って何処か積極的だった彼女は思わず抱き締めたくなる程色っぽかった。

あの時、敢えて何もしなかったのは…
正直、彼女の其の後の行為に期待を寄せていたから。


そして、彼女と初めて交わした接吻の柔らかい感触。

一番近くで感じた彼女の甘い匂い――



(まぁ、良いか…。)

未だ俯せになりながら一人で頬を染める。と同時に後悔にも襲われた。



(どうせ言霊を喰らうんだったら…手ぇ出しときゃ良かった……)








(ったく、何なのよ。人の気も知らないで…)



しかしかごめはふと思い返して立ち止まる。


(そう言えば…元はと言えば私が…)

そう考えると頬を染めずには居られなかった。

そしてもう一度唇に指で触れてみる。


自分の唇を覆う犬夜叉の甘くて淨けてしまう様な感触…
引き寄せられた瞬間も実は少しだけその先を期待していたのかもしれない。




一言だけ言える事。

唇が触れた時、本当は嬉しくて堪らなかった。






(…やっぱり、犬夜叉に謝って来ようかな…)


かごめは反転し、小走りで犬夜叉の元へ向かう。

仄かに紅い顔からは幸せな笑みが零れていた。





----------

このSSも2003年の夏前後制作の様子。
久し振りに読み返すとものすごい擦れ違い不器用ラブだな。





モドル。