さて、そのほかは狂気の沙汰
私は一体何処に居る
私は彼の腕の中
いつからこうしているのだろう。
彼の傍に居る時は時間の感覚なんて有って無いようなものだから
何分経とうが何時間経とうが私にはわかる筈も無いし
そんなことはどうだって良いことだと思う。
それにしても…
私はいつから此処に居る?
…私はいつから抱かれている?
「ねぇ…、凱?」
自身よりもずっとずっと広い肩幅に抱き締められながら
随分と長い間身動きを封じられている命は
頭上にある二つの視線に上目で問う。
「…どうかしたのか?」
何も知らぬという素振をして答える青年の瞳だが
確信犯的な表情の色は隠さずにいた。
敢えてそれを楽しむかの様に。
「あの…、離して…くれないの?」
「どうして?」
「だって…ちょっと苦しいよ…」
「そうか…」
口ではそう言うのに、腕が緩められる気配は一向に感じられない。
命は無言の抵抗を始める。
が、普通の男性よりも遥かに鍛えられたその腕に抗おうなんて
その考え自体が無謀にも等しいことを命はわかっている。
この胸に感じる圧迫感。
決して不快なものではないのだけれども。
それならば…
と命は新たな作戦に出る。
抵抗を続け強張らせていた身体の緊張を解くと
変化に気付いた彼の腕は次第に力を緩めていく。
今がチャンス。
命は束縛からの瞬間的な解放を逃さず、厚い胸板の上でその身を滑らせ
彼の鼻の頭に小さくキスをする。
一瞬、間を置いてやっと状況を理解出来た彼は
「…やるなぁ」
と意地悪そうに笑ってまた腕をきつく締めた。
これじゃあ、さっきの繰り返し。
状況は更に悪くなっているかもしれない。
遂に命は根を上げた。
「凱ぃ…お願い、もう許してよぉ…」
「うーん。どうしよっかなー…」
「いつまでこうしてるつもり?」
「そうだなー…
俺が飽きるまで、かな。」
その言葉に反応し、命は今日初めて自分から凱の身体を抱き締めた。
彼よりもずっと弱々しい力で。
抱き締めるというより、しがみつくという形容が相応しかった。
凱の方も今日初めての戸惑いを見せた。
「…命…?」
凱の胸に顔を埋めた命が今にも消えそうな声で小さく呟く。
「…私、凱に飽きられるくらいなら、ずっとこのままが良い。
このまま離れないで…ずっと傍に居られるのなら苦しくたって構わない…
…だから傍に…居させて…。」
自分の身体にしがみつきながら紡ぎ出される、懇願にも似た吐露に
凱は照れ臭くって、おかしくって思わず噴き出してしまった。
「何で笑うのよ!」
心なしか涙目で反発する命に、
凱は未だに笑いを抑えられないながらも必死に弁明する。
「あのな、俺が飽きるのは命にじゃなくて
今のこの状況にってコト。
命を抱き締めることに飽きたら…ってことだよ。」
正しい意味を理解した瞬間、
命は意識が飛びそうな程の羞恥心に襲われ
顔面は凄まじい勢いで紅潮した。
否、顔面のみならず身体中が火照っている。
この熱は触れ合う肌を通して凱にも伝わっているに違いない。
そう思うと余計にいたたまれなくなる。
先程まで涙目だった命は
今度は涙声で目も合わさずに言葉を搾り出す。
「…今の…忘れて……?」
忘れられるものか。
そう心中で思いつつも凱は無言で命の顎を上げ
過ちを犯した唇に優しく包み込むようなキスを与えた。
甘い吐息が漏れたのを合図に、
凱は命の至る所にキスの雨を降らせ続ける。
いつの間にか、凱の命を抱く腕は緩んでいた。
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このSSは2006年7月に制作しているようです。
補足なのですが、この二人の置かれているこの状況は
オフの日の午前中、ベッドに寝転がって…というイメージです。
本文中で表現出来ていない、何とも説明不足な(笑)
ちなみにタイトルは、フランツ・グリルパルツァー作のキスの格言より拝借。
別の企画で使おうと思ったものを流用させて戴きました。
モドル
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