或る海辺の町


「わぁ… 」
かごめは眩しい光を避ける様に額の前に手を翳す。

夏の海は降り注ぐ太陽の光をきらびやかに放射し、
穏やかに揺れる波音と心地良い潮の香りがかごめの胸を湧き立たせた。


一行は旅の半ば、静かな海辺の町に立ち寄ったのだった。
その夜はその町で、例の如く『御払い』をし、無事に宿を取る事が出来た。



皆が寝静まっていると思われる刻限に、犬夜叉は一人、用を足す為に部屋を出た。
静まり返った庭園の脇に在る厠までの廊下を静かに歩く。

(…こんな所まで潮の匂いがするんだな…)

その宿はさほど海岸から遠い訳では無かったが、
目と鼻の先の距離と言う程でも無かった。

だがこの場所でも昼間に通って来た浜辺の道で嗅ぐような、
まるで海の隣を歩くような、そんな匂いを犬夜叉は感じた。


犬夜叉は皆を起こさぬようそっと部屋の襖を開ける。

背後から月の光を受け入れて部屋に入ろうとした時、
犬夜叉は小さな異変に気が付いた。

其の日の部屋は全員で一つの物を借り、仕切りを境に男女が分かれて寝ていた。

先程は気付かなかったが――― 
仕切りの向こうに一人の少女の姿が見当たらない。

(かごめが居ねぇ!)

不意に、言い様の無い不安が背後から迫ってくる感覚を覚えた。

潮の匂いに気を取られ彼女の匂いが近くに感じない事に気が付かなかったのだ。

(…一体何処に…?)



犬夜叉は逸る鼓動を抑え、
微かに感じる彼女の匂いを慎重に嗅ぎ分けて其れを辿って行く。

宿の外に出、道なりに、道なりに…
段々海の方向に近付いて行っている様な気がした。



町外れ、ほんの小さく丘になっている所を越えて足元に見える浜辺に目を遣る。
其処には案の定、捜し求めて居た少女の姿が有った。



「かごめーっ」

少女はその声に反応した。少し驚いている感じがする。
犬夜叉はその姿を見て安堵の息を吐いた。。


「…犬夜叉?」

犬夜叉はかごめの元に近寄り声を掛ける。

「やっぱりかごめか。こんな所で何してんだよ?」

心配してやって来た焦りに、生来の不器用さが加わり
少し喧嘩越しの口調になってしまう。

ところがかごめはそんな事は全く気にせず
彼女らしく、くすっと笑って言った。

「犬夜叉、捜しに来てくれたの?」
「そ、そういう訳じゃねぇよ」

犬夜叉は俄かに照れながらぶっきらぼうに答え、かごめの隣に腰を下ろした。

とりあえず、かごめは無事だった。
其の事実に胸を撫で下ろしつつも
何故彼女がこんな刻限にこんな場所に来ているのかが気になった。

特に深刻そうな様子は伺えないし、
昼間に仲間達と何か有った気配は無い。
一体何をしようとしていたと言うのか。

「で、お前何やってるんだよ?」

かごめに再度尋ねてみる。

かごめは前を向き直し月明かりに照らされた海を見詰めている。

「海を見てるの…」


かごめの前髪が潮風に靡いた。
犬夜叉もまた同じ様に海を見る。

「海の方に来るなんてすごく久しぶりだったから、つい来ちゃった。」

犬夜叉は少しむっとした。

「だからってお前、何でこんな夜中に…」

「だって夜の海のが綺麗だし静かでしょ?」


コイツ、人がどれだけ心配して―――

悪い事をしたという意識がさらさら伺えないかごめの笑顔に益々腹が立った。

「静かだからこそ危ないだろーが!何で一言声掛けなかったんだよ!」
「だって皆寝てたし…」
「俺に言えば一緒に行ったよ!」


犬夜叉の強情さに自分もまた段々腹が立って来たかごめは
つい強い口調で言い返そうとする。

「何で全部犬夜叉に…っ…!?」

言わなきゃいけないの?、とでも言おうとしたのだろうか。
喋り続けるかごめを犬夜叉は自分の腕の中に強く抱き寄せた。

かごめは何が起こったのか、一瞬、理解に苦しんだ。


辺りには静かに揺れる波の音だけが何に邪魔をされる事無く響き渡っていた。


「…俺の見えない所で、お前が危険な目に遭っても…俺は助けられないぞ」

そう言う犬夜叉の声には何処か陰りが有る。
そして、微動だにしないその腕で力強く自分を抱き締めている彼――

その事に気付いて初めてかごめは自分が犯した事を認識した。
と同時にやり切れない想いに苛まれた。
(…犬夜叉、こんなに心配してくれてたんだ…)

犬夜叉の胸に顔を埋めながらかごめは小さく呟いた。

「ごめんね…」



かごめもまた犬夜叉と同様に彼の背に華奢な腕を回そうとする。

すると、そうするより早く犬夜叉はかごめの小さな唇に淡い接吻を与えた。


「…潮の味がする…」

ずっと潮風に曝されていただろうかごめの唇からは少ししょっぱい味がした。
犬夜叉は潮風の所為で少しガサついているかごめの髪を優しくとかすように撫でる。

「い・・・ぬ夜叉…?」

予想外の自分の行動に照れ、戸惑うばかりのかごめの耳元で犬夜叉は囁く。

「他の奴にこんな事されても助け呼べねぇんだから…
 絶対に今度からはするんじゃねぇぞ。」


犬夜叉は今度は深くゆっくりと口付け始める。

「…んっ……」
濃厚な行為の間に小さくかごめの吐息が聞こえる。


どれ程の時間交わしていたのだろう。
思い出したかの様に犬夜叉は唇を離す。

少ししか息継ぎを与えられなかったかごめの胸は大きく上下し、
二人の間には銀の糸が見え隠れしていた。
そんなかごめを見て犬夜叉は再度唇を近付けようとする。

「い、犬夜叉っ!だめ…」
「…少し、黙ってろ…」



犬夜叉の接吻はかごめに休む間を与えず続けられた。
二人の傍で寄せては返している波の様に、時に穏やかに、時に激しく…

かごめはそのとめどない行為に
耳まで紅潮しているのが自分でもわかり、少しの眩暈を覚えた。
その一方でかごめはその柔らかい感触に全てを委ね、
夢心地な気分で居たのも紛れも無い事実だった。


そう、夢心地だったのだ。



かごめはその行為の途中で眠りに落ちていってしまった。
犬夜叉がその事に気付いたのはやはり長く長い接吻の最中であった。


(…こんなにして…、口付けだけで終われるかよ…)

そう思う犬夜叉だったが、自分の腕の中で安らかな寝息を立て、
安心仕切った可愛らしい寝顔で眠るかごめを見たら、
自分がその寝顔にそんな気持ちを抱いていた事を何故か罪深く思った。

(…疲れて…たんだな)

犬夜叉は気持ちを落ち着かせて小さく息を吐くと
かごめが寝やすい様に自分の胸にもたれさす体勢にして座り直した。



夜の海は星屑が消える頃には波音もまた途絶えた。
そして暫し静寂の闇が訪れる。



やがて夜明けが来た。

太陽が少しずつ昇って来ると、夜の地平線に一気に光の筋が走る。

「かごめ!」

その余りの美しさに犬夜叉はかごめを起こそうとするが、
今だ規則的な寝息を立てている彼女を見て其の肩を揺するのを止めた。




別に今見なきゃいけない訳じゃない。

今しか見れない訳じゃないんだから―――。


犬夜叉はそう思い、穏やかに微笑んで
愛しい少女の額に軽く密やかな口付けをする。



(またいつか、今度は二人で見ような。)


その時が何年後でも、何十年後でも、
二人の想いが色褪せる事が無いように。


犬夜叉は朝の初めての光を浴びながら、
優しい瞳で同じ様に光を浴びているかごめの目覚めの時を密かに見守った。






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このSSは2003年の夏前後に作られたようです。
掲載用に編集してて気付きましたが、一箇所サザンじゃないか…(笑)

…正直、コメントしにくい(笑) うちの犬は自己中で強引ですね。





モドル。